ワラーチで走るようになって出会ったBorn to run。調べると、ワラーチ界隈ではバイブル的な本。読み終えた当方も、これで目出度く?宗派入りできたかも、、、しれない。
Born to Runの物語
ワラーチで走るメリットその①的なのから始まる本ではなく、物語調の語り口。ちょっと引用する。😅
この男はカバーヨじゃない。カバーヨなんてどこにもいない。全部つくり話で、私は一杯食わされたのだ。
と、死体が口を開いた。「おれを知っているのか?」
p11より
話はメキシコの山岳地帯で亡霊と呼ばれるカバーヨブランコ探しから始まって、足底筋膜炎(PF)に悩む著者が、
- 誰かと一緒に過ごすためにレースをするスコット、
- パーティキッズ(パリピ)のジェンとビリー、
- アドベンチャーレースのコーチを務めるエリック、
- 裸足で走るベアフット・テッド
を引き連れ、カバーヨ主催の50マイル(約80キロ)、標高差2000メートルのウルトラトレイルランレースに参加する。本書の後半のレース描写シーンがクライマックス。手に汗握れる💦。で、そのレースが終わりカバーヨの生い立ちが語られる所で読了となる。
と、一見、どこか遠い世界(メキシコの鋼峡谷)の小説のようでもあるが、走る民族タラウマラ族の秘密に迫ろうとしてた著者の視点を通じて、
- ウルトラマラソンの話(女性や高齢者の方が完走・入賞率が高い)
- シューズとランニング故障の話(最高級シューズの方が故障率が高い)
- 著者が足底筋膜炎(PF)を克服した顛末
- 人類 v.s ネアンデルタール人の生存競争
が自然な形で織り込まれていた。
シューズの痛ましい真実
前述の通りで冒険紀行のような構成なのですが、例えば次のような話に急に切り替わったりする。
最高級シューズを履くランナーは安価なシューズのランナーに較べてけがをする確率が123パーセントも大きい。これはスイスのベルン大学に所属する予防医学の専門家、ベルナルド・マルティ医学博士を中心とした研究の結果だ。
p245より
この話、シューズメーカのナイキ自身が認識しており、素足感覚シューズ、ナイキフリーの発売に繋がったそうな。
誰だって自身のビジネスが真っ向から否定されるような話にはそっぽを向くか、血相を変えて反論したくなるものです。でも、世界のナイキは、それを真摯に受けとめて、新たなビジネスに繋げてしまう。ナイキの強さのようなものを感じるエピソードでした。
言い換えれば、我々が日頃履いているシューズを否定しているようで、よく読んでみるとそうでもない本なのであります。
裸足で走ってみる?
シューズも悪くないと言う話の他、本書の登場人物の中で最も際立っているベアフットテッドの身の上話も振り返りたい。
ベアフット・ケン・ボブの”裸足宣言“
シューズがさえぎるのは痛みであって、衝撃ではない!痛みはわれわれに心地よい走りを教えてくれる!裸足になったその時から、きみの走り方は変わるはずだ。p223
2003年、40歳。1890年代の装備限定のアイアンマン・トライアスロン(スイム3.8キロ、自転車180キロ、ラン42キロ)を開催しようとして、どういうわけか、ベアフット(裸足)ランに辿り着いたテッドの話はとても面白い。最も、詳細な経緯は Born to runを読んで頂くしかありません😽
さて、読者である当方は、当初、ベアフットランと言われて、ただ単に裸足で走ること?かと思った。装いについては間違ってはいない。だが、そこは現代社会。書物(アーカイブ)あり、医学博士の論文あり、国際コミュニティありの界隈を形成していた。
で、そうした膨大な叡智のエッセンスが、上記の引用文に集約される。つまり、シューズで我々は地面を直接踏む痛さからは解放されるものの、走り方が分からなくなってしまう。
ワラーチで走ってみて
前述の話、少しだけ私自身も体験することができた。ベアフットまでは行かなかったが、ワラーチでも走り方が明かに変わるのだ。
これまでのシューズ履きを続けていたら決して意識できなかったことであろうこと。それは、その保護機能に頼りきっててドスンドスンと地面に足を振り下ろす感じで走ってしまう!ということ。
一方のワラーチ。履いた瞬間から足の母子球から地面に着地する様になる。意識せずとも自然とそうなってしまうのだ。というのも、踏み出した先に埋まってた小石を踏むかもしれないし、地面が予想外に硬いかもしれないから。
この走りが正しくて人類本来の走りなのか?までは実感できていない。けれども、人間が走る🏃♂️🏃♀️時に行う衝撃吸収動作の一端を、ワラーチで実感できた様には思った。
なお、裸足で走ってみる勇気はまだない😅
人類は走るべく進化した!
カバーヨ主催のレースに参加する冒険物語の後半、進化生物学の話が差し込まれている。やや唐突感のある差し込みだったが、この話が一番面白かった!少し引用し、感想を記載したい。
ネアンデルタール人は才能に恵まれた狩人にして熟練した武器職人であり、われわれよりも先に言語を習得した可能性が高い。世界の覇権争いで幸先のよいスタートを切り、最初のホモ・サピエンスがヨーロッパに現れたとき、ネアンデルタール人はすでにそこでほぼ20 万年にわたって快適に暮していた。
p314
人類 v.s ネアンデルタール人の生存バトルの話はNHKスペシャルでも視聴した記憶がある。
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/93115/3115434/index.html
上のNスペでは、人類は宗教的な儀式で家族単位を超えたグループを形成するようになり、情報交換を通じて強力な武器(投石機など)を開発するようになり、気候変動も相まってネアンデルタール人を制した、というお話だった。
人類 v.s レイヨウ
Born to run の話はちょっと違う。なんと、
アフリカの狩人はかつてサバンナでレイヨウを追跡し、タラウマラ・インディアンは鹿を「ひづめがはがれるまで」追い詰めたという
p325
持久走で追い詰めたのだそう。どうやら、地球上の陸上動物を集めてフルマラソンを開催すると、人類がチャンピオンだというのだ。そんな話、聴いたことはあるけど、本当なんかいな?
その謎を追求するべくデイヴィットキャリアー氏は、自ら兄スコット氏と共に野生のレイヨウに持久狩猟を挑む!
そして惨敗
もしかしたら、ルールのあるマラソンレースでなら勝てたかもしれない。しかし、そこは人類ルールの及ばない野生社会。
レイヨウの方が上手であった。群れに紛れるという手法で体力を回復されてしまい人類(キャリアー氏)は呆気なく負けてしまう。
その後のキャリアー氏は大学を中退。他のアプローチで自説を証明することになるが、詳細は Born to runをお読み頂きたい。
え、人類の初期装備がランニング?
どうもそういう話らしい。
上に引用したNスペの話は狩猟武器が登場してからの生存レースの話。
一方のBorn to runは、登場初期の人類のサバイバルの話。進化生物学において、初期の人類は弓矢も槍も戦斧も筋力もないひ弱な生き物。御先祖様は、強敵犇く環境で、どうやって生き残ってきたのか?は大きな謎だったのだそうだ。
ランニングによる持久狩猟
そこに、ランニングによる持久狩猟が野生デビュー間もない頃の御先祖様達の主力武器であったのでは?という仮説が提唱される。但し、持久狩猟は獲物に矢尻も傷痕も残さない証拠なき完全犯行でもある。立証が難しいのだ!
立証に代わって実証を行った様子が記載されているのですが、やればできることを身体を張って示すってのに物凄い情熱を覚えてしまいました。実証できたところで見返りが得られる期待なんて、、、ほとんどない訳ですからね。
そしてマラソンが3〜5時間である理由
レクリエーションには理由がある p341
私を含む多くの市民ランナーは、大体3〜5時間のタイムで42.195キロを走ります。
加えて、前述の実証で分かったこと。それは、人類が持久狩猟を行う場合、このマラソン位の時間を走り続ける必要がありそうだ!ということ。言い換えればマラソンという競技(レクリエーション)には、こうした御先祖様の感覚が反映されているようなのです。
だからなんだ!?と真顔で詰められると困ってしまいますが...こういう物事の成り立ちに踏み込もうとするのってなんだかワクワクしませんか?
まとめ
さてさて、これまで述べてきた通りで、本書は、ワラーチ(あるいは素足)で走るとメリット一杯‼️今すぐ走り出そう!という単純明快な本ではありませんでした。
相応に読み応えがあって、早急に答えを知りたい悩めるランナーさんにはもどかしさが残る物語かもしれません。
でも、もし仮に貴方が膝の痛みに悩んでいたり、ネアンデルタール人に興味がある人類史マニアだったり、外へ走り出すモチベーションが欲しい引きこもりだったら???
本書は手に取ってみる価値があると思います。
本書を読み終えた翌日も膝は痛いままかもしれません。でも、何か生きるヒントを得られるかも??と思うのです。
太古の御先祖様はマラソンしながら日々を生きた。時は流れ、生きるための日々の持久走は不要になったけれど、貴方にも私にも、あの頃の走りの記憶は、身体に刻み噛まれているっ‼️
このブログ記事が、何かの縁で辿り着いた貴方も読んでみようかなー??と思わせるキッカケになれば幸いであります。